今日は私のだんなさまになった彼、ぽんちゃんについて書こうと思います
ぽんちゃんは、普段私が〇〇ぽんっていうあだ名で呼んでるから匿名性を高めるためにつけたあだ名です
彼には相当苦労をかけている私だけど、苦労をかけているであろうその時の私の感情としては彼が憎くて仕方ない。
彼の話をするのに欠かせないのは私の父親の話。
私の中には父親の歪みが大きく残されてる。
他人を思いのままに操作しようとし、気に食わなければ暴言、暴力。
なのに休日は必ずどこかに連れてってくれるわけで、認知症で迷子になってるおじいちゃん助けたり、自転車壊れて怪我してる男の子連れて帰ってきて自転車直してあげてママに治療させたり、雪で動かなくなった車を見つけてはすぐ車から降りて助けに行ったり、、
私はそんな不器用で優しい父親が大好きで、大嫌いになりきれなかったわけで、結婚式のときのお手紙でそんな思いを伝えたんだけど特に反応はなく…いつも素直な気持ちを伝えるのは私だけが一方的にしてる。何考えてるのかわかんないし、私に対してどういう思いを抱いてるのかも知らない。
そんな父親にされたこと、私はまんまぽんちゃんにしているなあとうすうす気づいてて、ずっと見ないふりしてきたけどやっぱ間違いないなあと。血は争えないって言うけど本当にそう思う
私はぽんちゃんに暴力をふるう。思い通りになってくれないと癇癪を起こして顔を叩く。頭に血が上れば普段なら絶対に口にしない暴言も使う。女に生まれてよかったと思う。力では男の人に勝てず、すぐに力で抑えられ、精神薬を飲まされる。こんなんじゃ子どもなんて到底無理だし今度は私が同じ歪みを与えちゃうよな
ぽんちゃんはぽんちゃんで歪みを感じたりするけどそれはお互い様で、私達はそれぞれ向き合っていかないといけない
でもそれが正直しんどくて、一緒にいると自分の嫌なところたくさんみなきゃいけなくて、この人は悪くなくて、でも自分を悪く思いたくないからこの人を悪者にしたくて、離婚という言葉が浮かぶけど、今日みたいに平和な日が続いてぽんちゃんの寝顔を見たりすると愛おしく、可愛く、結婚してよかったーとか思う。つまりはどこまでも自己中心的
私は自分との向き合い方がわからない
友達にはそんなこと思わないのに、どうして身近な他人に限って自分の思い通りに動いてくれると勘違いして暴力を振るってしまうのか、どうして頭に血が上ると暴言を口にしてしまうのか、まだ全然わからない。
喧嘩が終わったあとは、決まってぴーぴー泣くし、自分を変えなければいけないと思うと同時に変え方がわからないのと、無理して変わってまでこの人と寄り添わなきゃいけないのかなんて思う
それはぽんちゃんに対しても同じで、私は私に合わせてぽんちゃんに変わってほしいと願っていて、でもそこまでして変わったぽんちゃんを私は好きで居られるのかと
全部思うことを喋って、やっぱり泣いて、「俺は好きなだけ。一緒にいたいだけ、それだけ」って言われてまた泣く
私はこんなに自己中心的なのに、この人はいつもこう。
調子狂ってしまう
傷つけられたいのに全然傷つけてくれやしない
そしたら楽なのになあ