反省と後悔

振り返り

まだ生きづらい

杏ちゃんはまだまだここにいる

 

これはきっと杏ちゃんが本当の意味で幸せになるまで続く

 

多分その頃にはわざわざツイッターで「幸せ」「愛されてる」だなんて言ってないだろう。

 

もしくはあのアカウントからフェードアウトするんだろうなと思い続けてもう3年ぐらいになる

 

 

自分が思う幸せなんて今まで考えたことなかったんだよ。

 

でも離婚したときにゆきたそに「杏ちゃんの思う幸せが見つかりますように」というニュアンスのリプライをもらって、それからずっと考えてる。とても嬉しかった

 

でも私の考える幸せってなんだろう

 

 

離婚したのも、今もこれからもこの人と一緒にいたって幸せになれないと思ったからそうした

 

これは幸せじゃない、はわかるけど

これが幸せっていうのはわからない

これから探さなくちゃ

 

 

私は昔から男にお金を出しがちだった。

 

ぽんちゃんはお金がなかった。いや違うの、衣住職よりパチンコ、スロット、ゲームにばかりお金を使っていた。私も私で趣味が彼女みたいなつまらない男よりよほどいいと思ってきたのがいけなかったのだろうか。。

 

つまり、そうなるとデートの時のガソリン代や外食代、テーマパークの入場料、全部全部出してあげたくなってしまう。(しまいにはパチンコ代まで渡してた。それはやっぱちょっと感覚おかしかったな。)

 

私と遊んだり、一緒にいることによってお金がなくなるの、可哀想に思えてしまって。私にそこまでの価値があると思えない。

 

思い返せば私が可哀想にしてしまっている。というか向こうの自業自得なのに。

 

貢ぎ癖なのかなあ

 

離婚したときに母親には通帳を管理すると言われ、妹にはもう男に金を出すなと散々怒られた。

 

私がダメ男を好んでいたわけではない。

私がダメ男を作っていたんだなとここで初めて素直に実感する。

 

まさか私がそんなやつだったなんて思いたくないじゃない。

 

だから離婚を伝えた友人らと「次の目標は今の彼氏をダメにしないことだね」なんて話をしてる

 

 

ぽんちゃんには相当お金を貸したり、代わりに車を購入したり、同棲や引っ越しの費用は全て私持ちにしたりと、散々お金を使ってきたわけだ。

 

全ては「可哀想」という感情からだ。

よくわからない。お金がないなら同棲も車の購入もしなきゃよかっただけなのに。

 

そんなことをやってきたから「あのときお金貸したのに」「私が頭金払った車なのに」なんてふつふつ嫌な感情が湧いてくる。

 

だから喧嘩が絶えなかったんだろうと今になって思う。

 

 

失敗するのなんていつも通りだし、肩身狭く生きる必要もないんだろうけどやっぱ生きづらい。

 

 

離婚できたの、やっぱり私が浮気しちゃったからこそ踏み切れたんだと思う。

「俺じゃなくても幸せにしてくれる人はいくらでもいると思うよ」「いつまで(本命じゃない人とのセックス)こんな生活続ける気?」って言われたから真面目に離婚を考えた

 

わたしの友人に言わせてみれば「やー、うまいねえ。ちょっと腹立つな〜」ってことだけど。。

 

幸せにしてもらおうだなんてもう思わないけどさ

 

ただ、日記やツイッターで「幸せ」だなんてわざわざ言い聞かせるように言わなくてもいい、一緒にいて心から幸せだと思える人と再婚できたらいいな。

 

次は、どうなれたら幸せかを考えようかと思います

 

こんばんは杏ちゃんだよ

 

この度めでたくぽんちゃんと離婚することになり、おそらく今後は現セフレとお付き合いすることになると思うのよ

 

本当クソみたいな女だなと自分に呆れたりも散々したんだけど、結局それって周りの目を気にしてるだけでどう思われるかが怖いだけなので私は私のしたいようにやるんだとうつが良くなった日のことを思い出して自分を励ましている。

 

離婚の原因はものすごくたくさんあるけど平たく言えばぽんちゃんの家庭の宗教、借金と、セックスレス、私の浮気です。

 

お金がないと心まで貧しくなっちゃうね

 

俺が絶対に幸せにすると言われて、

それを信じてついて行って、

人に自分の幸せを委ねた結果だなと

 

次は誰かといても、勝手に幸せになりたいです

 

めでたく体脂肪率30%台突入

杏ちゃんだよこんばんは

 

最近ジムに入会し、ダイエットを始めました。

 

 

周りが女に目覚めて外見を気にし、ダイエットダイエットと言い始めた中学生の頃、私はBMIが17.2でした。そのせいもあったのか、体重を落とすためだけのダイエットや、がむしゃらに食事制限や運動をする人を軽蔑した目で見てた。なんと頭の悪いこと、と(いやぼくも相当なバカだけども目先の数字ばかり見ているこいつらよりはマシだと未だに思う)

 

その頃は運動が好きで、バスケットボールをしたり、体育で思いっきり体を動かしたり、部活では踊り狂ったり(吹奏楽部で打楽器だったので)と運動習慣がしっかりあった。

しかも食べる量は社会に出るまで人の半分〜2/3ほどで、すぐに満腹になってしまう体だった。かわりにすぐお腹が空くから間食で補っていたけど、たくさん食べる人が本当に羨ましかった。

 

そういうわけで、太ることとは無縁でした。

 

23歳までダイエットなどしたことがありません。

 

そんなぼくですが鬱病になり1年間のベッド上ニート生活を送り基礎代謝が鬼のように落ちて筋肉が限界までなくなり少し重たい扉を開けるだけで足元がふらつくようになりました

 

鬱が回復期に入って食事がおいしいと感じるようになったらあっという間に全身に脂肪がつき、体重はあの頃より10キロ以上増えました。

一番体が綺麗だった時と比較したらウエストは+5センチ、ヒップは+10センチ。うける。バストは+2センチなのに。

 

 

ずっと悩まされていました

「いいよね杏ちゃんは細くて。私なんてご飯2人前は食べないと動けないわ〜」

そんな風に謎のマウントをとられる日々に

 

ずっと羨ましかったです

人の残飯を食べられる人が

おかわりしてお茶碗2杯ご飯を食べる人が

 

 

 

今ではぼくも2人前平気で食べるし、人の残飯も食べれるようになっちゃったけどね!!とっても幸せです

 

ラーメン1人前当たり前に食べられなかったぼく、パパに必ず食べてもらっていました。

なんだかその時は父親に受け入れてもらえたような感覚がありました

 

だから人の残飯を食べられる人間になりたかったんだと思っている

 

先日も実家に帰った際にみんなでラーメンを食べに行きました

妹が珍しくもうお腹がいっぱいだといいます

ぼくが食べたらありがとう〜と言われました

 

ラーメンがおいしいこと以外の幸せを感じた気がしました

 

 

たくさんおいしいご飯を味わって食べられる。昔はそういうふうに食事を楽しむ感覚がなかった。

 

 

今は義理の父や夫や親兄弟に太ったことを永遠と指摘されて、それはそれで腹が立つけど最終的には「幸せなこと、元気な証拠」と肯定的に捉えてもらえます。鬱で食事を取れなかった時期があるのでそう言ってもらえているんでしょうけど。。

 

そんなこんなで人生最大に太っているけど幸せです。

 

器の小さい(?)人間なので小さな事で胸の張り裂けそうになる思いをすることばかりだけど、一方では幸せが溢れて仕方ないです

 

今日は天気が悪くて寝込んだけど、強引にジムに行くことに成功しました

 

筋トレ後のストレッチが気持ちよかった

ジムのスパで入った水風呂が最高すぎてあ〜〜〜〜って声が出てました

 

帰り道は葉っぱと土が濡れた匂いがしました

 

キャンプ場にいるような気持ちになってさわやかな気分です

 

次は早朝のウォーキングに挑戦しようと思っています

 

 

 

ずっとこれが続くのかな

今日は私のだんなさまになった彼、ぽんちゃんについて書こうと思います

 

ぽんちゃんは、普段私が〇〇ぽんっていうあだ名で呼んでるから匿名性を高めるためにつけたあだ名です

 

彼には相当苦労をかけている私だけど、苦労をかけているであろうその時の私の感情としては彼が憎くて仕方ない。

 

彼の話をするのに欠かせないのは私の父親の話。

私の中には父親の歪みが大きく残されてる。

 

他人を思いのままに操作しようとし、気に食わなければ暴言、暴力。

 

なのに休日は必ずどこかに連れてってくれるわけで、認知症で迷子になってるおじいちゃん助けたり、自転車壊れて怪我してる男の子連れて帰ってきて自転車直してあげてママに治療させたり、雪で動かなくなった車を見つけてはすぐ車から降りて助けに行ったり、、

 

私はそんな不器用で優しい父親が大好きで、大嫌いになりきれなかったわけで、結婚式のときのお手紙でそんな思いを伝えたんだけど特に反応はなく…いつも素直な気持ちを伝えるのは私だけが一方的にしてる。何考えてるのかわかんないし、私に対してどういう思いを抱いてるのかも知らない。

 

そんな父親にされたこと、私はまんまぽんちゃんにしているなあとうすうす気づいてて、ずっと見ないふりしてきたけどやっぱ間違いないなあと。血は争えないって言うけど本当にそう思う

 

私はぽんちゃんに暴力をふるう。思い通りになってくれないと癇癪を起こして顔を叩く。頭に血が上れば普段なら絶対に口にしない暴言も使う。女に生まれてよかったと思う。力では男の人に勝てず、すぐに力で抑えられ、精神薬を飲まされる。こんなんじゃ子どもなんて到底無理だし今度は私が同じ歪みを与えちゃうよな

 

ぽんちゃんはぽんちゃんで歪みを感じたりするけどそれはお互い様で、私達はそれぞれ向き合っていかないといけない

 

でもそれが正直しんどくて、一緒にいると自分の嫌なところたくさんみなきゃいけなくて、この人は悪くなくて、でも自分を悪く思いたくないからこの人を悪者にしたくて、離婚という言葉が浮かぶけど、今日みたいに平和な日が続いてぽんちゃんの寝顔を見たりすると愛おしく、可愛く、結婚してよかったーとか思う。つまりはどこまでも自己中心的

 

私は自分との向き合い方がわからない

 

友達にはそんなこと思わないのに、どうして身近な他人に限って自分の思い通りに動いてくれると勘違いして暴力を振るってしまうのか、どうして頭に血が上ると暴言を口にしてしまうのか、まだ全然わからない。

 

喧嘩が終わったあとは、決まってぴーぴー泣くし、自分を変えなければいけないと思うと同時に変え方がわからないのと、無理して変わってまでこの人と寄り添わなきゃいけないのかなんて思う

 

それはぽんちゃんに対しても同じで、私は私に合わせてぽんちゃんに変わってほしいと願っていて、でもそこまでして変わったぽんちゃんを私は好きで居られるのかと

 

全部思うことを喋って、やっぱり泣いて、「俺は好きなだけ。一緒にいたいだけ、それだけ」って言われてまた泣く

 

私はこんなに自己中心的なのに、この人はいつもこう。

 

調子狂ってしまう

 

傷つけられたいのに全然傷つけてくれやしない

そしたら楽なのになあ

 

 

 

 

re:

ぼくはあれから相当変わった

初めて乳母として書いた日記を未だに忘れられない。執着しているようで恥ずかしいけど、これこそ私以外の何者でもないなと読むたびに思う。

 

https://harusanday.jp/2017/05/全員目障り/

 

結局めんどくさがりやで飽きっぽい私は、はるさんに「もうはるさんのもとで学べることはないと思ったから」などと言って乳母を数ヶ月でやめた。本当は女の子達との馴れ合いがめんどくさいと感じたからだったくせに。

 

結局うつ病になって寂しくなって戻ってきたいと思った頃にはもう乳母なんてものはなくなってた。散々見下してきたものはやっぱり羨ましいだけだった。

 

オーガズムを得るために踏み込んだ世界だったし、どんなイき方もできるようになったのに、そのへん私はちっとも変わっていない。当時彼氏だった男は今では夫になったけど、やっぱり彼ではイけないまま。一時的にイけるようにはなったけど、すぐに元に戻ってしまった。でも彼でイけるようになっても、他所で遊んでも、私は満足しないんだってわかった。

 

あのとき同じ悩みを抱えていた女の子たちも、新しく彼の元にきた女の子たちも、結局彼から離れられない人ばかりでまだ私は見下している。はるさんが「こんな仕事をしている人間はいないほうがいい」って言ってたのを思い出した。

 

未だに私だけはバカになれない。

やっぱりちょっと羨ましい。

 

私だってこの場所からいつまでたっても離れられないし、この名前を捨てられない。

 

 

でも変わったことだってたくさんあるんだよ

 

インターネット上や親しい人の前では一人称に「ぼく」だなんて使ってぶりっこを遠慮なくするようになったし、やりたくないことは一切しなくなったし、関わりたくない人とは関わらなくなった。ネット上での馴れ合いもやめた。

あんなに絶対やめるものかと思っていた看護師の仕事もうつ病を機にやめた。

 

嫉妬をしたり、見下したりする自分がどこか愛おしく感じるようにもなった。

当時のあの日記を読んでくれたたくさんの人に「杏ちゃんは愛おしいね」と言われてきた理由が今になってやっと、なんとなくわかる。と前にも言っていた気がするけどその時よりもっとわかる。わかるもんね。

 

そんなぼくは最近やっとうつ病から立ち直り始め、空はより一層青く見えるし、太陽がキラキラして、鳥のさえずりが聞こえるようになってきた。これは比喩ではなく本当にそうなの。

 

 

 

 

ひさびさに日記を書いているのは新しい目標を見つけたから。

 

あの日に戻ったみたいにまたいろんな人を見下している。

でも今はその感情の正体がわかる。受け入れられる。これが私なんだなと思う。

 

あの頃たくさん抱えていた矛盾、当時は大嫌いだったけど今はもう並べてニヤニヤできるぐらいには余裕を持てるようになった。全部私だ。カワイイ。

 

かっこつけたり、頭がよさそうに振る舞うこともやめて等身大の自分に近い自分を見つけた。きっと伝わるんじゃないかな。

 

できる限り誰とも関わりたくなかったくせに、今では環境と人を選びながら自分を素直に自己開示できるようになって為になるお話ができるようになった。もうこれでも十分すぎるくらいだと思う。

 

 

まあそんなこんなで、これが、自分を愛する、とか、自分を大事にする、の私なりの答えでした

 

 

 

杏ちゃんのこと、大好きだから多分まだしばらく杏ちゃんでいると思う。

 

もう無理に面倒ごとを丸めて捨てるようなことはしない。

 

でも一区切りではある

 

 

だいすきだよ。さようなら。

 

 

 

ちょっと明るくなってきた

 

そろそろ世界が色づいて見えてきてもおかしくない。そろそろ幸せに過ごせてもいい。

 

そんなことを最近なんとなく考えたりしていた。

ああだめだなあ日記を書いている時は大抵しくしく泣いている。

 

 

先の見えないトンネルを永遠と歩いているような感覚がずっとしていて、いつになったら明るくなる日がくるのかなと思ってた。長いし暗いし感覚はないし眠れないしごはんも美味しくないし鏡に映った自分は今まで見てきた自分や写真の中で笑う自分と全然違う顔をしていて、ふらっと死んでしまいそうで、可愛くないし

 

いつか明るくなるよ大丈夫だよと時々すれ違う人たちに励まされてたまに一緒になって歩いてくれたりして一生懸命生きることだけにしがみついてきた

 

 

見えた出口は今までと違う色をしていたんだなって気がついた

 

もうあの頃のようには過ごせないんだろう

 

頭の中で言いたいことがあっても出てこないし、上手く引き出しを探せなくなってしまったし、感性も少し変わってしまった

前よりもっと泣き虫になってしまった。少し人前で泣くようになってしまった

 

悪いことのように書いているけどこれは病気に対して被害者面をしたいだけであってなにもそうなってしまったことを落ち込んでいるわけじゃない むしろ私の本心ではこうなってよかったと思ってるんだよ

 

 

23になる私に求められるものを無視し始め、無理な気遣いをやめ、人に頼り、様々なところで不器用であることを認め、心の中までに留めていたぐちゃぐちゃした思いをインターネット外で意識して吐き出すことは、自分が思っていたより難しいことではなかった

 

 

あの日、やればいいんだよとじっと目をみて教えてもらえたことが嬉しかったんだと思う

 

 

少しずつ自分の足で踏ん張ることができるようになってきたら周りにいる人も変化し始めた

 

これは紛れもなく私が自分で手に入れたものなんだなあと真っ暗な道の中コンビニの電気を頼りに、後ろに人がいないか確認してからるんるんくるくるしながら跳ねて帰ってきた

 

自分で手に入れたものがいちばん強い、いちばん自信だ

 

もう出てこないでほしい。

 

オナニーはめちゃくちゃ気持ちいいのにセックスで気持ちいいと感じるのは基本的に前戯まで。

 

死にてえ。

 

 

セックスで一番嫌いな体位は騎乗位です。

 

 

なんでかって、初めてのセックスで痛がったら「もうわかんねえから自分で入れて」って男に仰向けに寝られたからだよ。

 

どうしてもどうしても、もうそろそろ10年近く経つのにあのシーンがよぎって消えない。思い出すと未だに悲しい。私は生身の人間なのにな。もっと大切にされたかった。もっと大切にしてくれる人を好きになればよかった。なんであんなヤツを好きになっちゃったかな。いい女でいたくて、彼の言う都合のいい女になりたくて、思い出しては美化しようとして、「まあ、あの経験があったから今の私はステキ」って髪をかき分けてさらっと言いたげな16歳の私。可愛くないよ。全然可愛くない。

 

あのときもっと泣いておけばよかったな。

しょーがないから22歳の私が代わりに泣いてあげてるんだよ。感謝してほしい。あんたがあのとき素直にたくさん悲しまなかったからまだ悲しいんだよ。

 

あのときはそれを男のせいにするのがカッコいいと思ってたけど、今はそれをカッコ悪いって思うよ。

 

なんで素直に悲しいって言わなかったの。

どうして怒ったり、関係のない人を恨んだりしちゃったの。

 

 

思い出を嫌わなくてよくなるまで多分私は一生このままなんだ

 

っていう呪いをかけて今日の日記は終わり。

せいぜい今日書いた日記を恨むといいよ。気持ちが楽でしょ。バカだね。